griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

過失の賠償か?恨みを晴らす慰謝料か?どちらを本筋に取るべきか?。。。。

静岡県沼津市の民宿で2002年8月に殺害された東京都内の男性=当時(53)=の遺族が民宿経営者の女性に対し、勝手口が無施錠だったために犯人が侵入したなどとして、約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は13日、女性に約6800万円の支払いを命じた。 藤下健裁判長は「女性は被害者と犯人の男双方と交際し、男は嫉妬から被害者を殺害した。男のそれまでの行動から、何らかの凶行に及ぶことを女性は予見できた。施錠していれば、事件が発生しなかった可能性は十分にある」と判断した。  (日本経済新聞社 NIKKEI NET 10/13 23:05)

確かに「性善説」が崩れ去りつつある現在、例え?民宿と言えども?これまでの様な「安閑」とした防犯意識では通らないかも知れない。。。

お亡くなりになった方は、確かに「お気の毒」である。それは間違いない。しかし悪いのは?飽く迄も殺人を実行した「犯人」にあるハズだ。勿論、民宿経営者による「カギの掛け忘れ」も?安全管理義務違反として、責任の一端を問われても仕方がないのは道理である。だが直接手を下し殺害した犯人と、カギを「掛け忘れた」経営者と、同列に見る感覚には些か無理があると言えまいか?仮に責任量を按分したとしたら?殺人犯に重きを置かれるのは当然ではないか?と思われるのだが、今回の判決は、「カギを掛け忘れた」方にも、同様な責任を認めた判例に見える。これでは?幾らなんでも?無理が有るのではないか?。。。

原告が抱く、亡くなった被害者の「やり場のない怒り」を晴らしたい気持ちは良く理解できるが?さりとて「カギの掛け忘れた」方に、「責め」の軸足を置くような訴訟の仕方は如何なものだろう?これでは?公平に見て単なる問題の「すり替え」としか映らず?むしろ?取れそうなとこなら?何処でも構わず賠償請求を仕掛けている様にも受け取れ?ちょっと「いやらい」印象も受ける。今回は「たまたま」民宿の経営者が、被害者と犯人との三角関係にあった事から、地裁が「特異なる」判断を下したのかも知れない。おそらく。この経営者にも?責められて足りる十分な「道義的責任」が有ったのだろう。。。

その意味で今回の訴訟は、そんな「民宿経営者」への、感情的な「恨みを晴らす?」事が本筋あって?「カギの掛け忘れ」の責任追及などは?「蛇足」なのかも知れない。しかし訴訟内容から考えれば?判決で出された賠償額は、この種の代償としては?余りにも破格であり、一方的過ぎる印象も拭えない。冷静に見て、これらは本来、直接、手を下した「犯人」にこそ?向けられるべきものである。これでは被告の民宿経営者も「道義的責任」は感じるものの、素直に受け入れられる内容ではないと思われる。多分、間違いなく控訴するハズだ。冷たい様だが、男女の恋愛に、この手の『リャン面待ち』は珍しくはない。憎むべきは、やはり「殺人犯」である。。。

私がこの記事を見て、もっとも危惧を感じたのは?何でもかんでも?訴えた方が勝ちという「今の風潮」にある。何かにつけ?直ぐ「訴訟沙汰」に発展し、また、それを変だとは思わない裁判所によって?流れ作業的に?来たものを右から左に、しかも粛々と裁判され、出た判決に依り?更に、その風潮を肯定し加速する流れになっていないか?という事である。それ故。今回の判例が、世の中に溢れる「訴訟魔」たちの、次なる美味しい「エサ」とならなければ良いと願ってやまないのである。。。

そんな中、まもなく団塊の世代の大量退職が開始されようとしている。彼らの中には離職後、田舎に引き篭もり、なけなしの退職金をはたいて、夫婦で、ささやかに「ペンション」でも営もうと?計画を立てている方も多いのではないか?今回の判決は、そんな方々に対し「ショッキング」なニュースに伝わったものと思われる。それこそ?こういった判決が続発するなら?余生を活かした「民宿経営」などは、相当に慎重にかからないと危険すぎる。。。 

それにしても、時代の荒波は、思わぬところにも?「意識改革」を求める「流れ」になっていると感じさせられる。だが、この「流れ」で?はたして良いのだろうか?私的には、仮に、向かっている先が「訴訟社会」であるなら?それは単に「弁護士」などの法律家を肥えさせるだけの「不毛なる社会」への変貌に過ぎないと映るのだが。。。果して?ウ~ムである。。