griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

「在宅・通所介護」への期待。

NHK NEWS(01/08 19:22)に依れば、厚生労働省の外口崇技術総括審議官は、8日夜放送のNHKスペシャル「日本のがん医療を問う」の収録に際し「デイホスピスは日本に必要な制度であり、介護保険の中で、何とか実施していきたい」と述べたと伝えている。。。

治療不可能な「末期がん」患者に対し、心と身体のケアをどう進めてゆくか?人生の「終末」に際し、医療は、家族は、これをどう支え、また拘わってゆくべきか?この悩ましきテーマに対し、厚生労働省は「デイホスピス」を一つの回答として示したものと理解する。。。

紛糾する「医療費」削減の議論の中には、突出する終末医療の「コスト高」を問題とする意見も多く出され、広範なる議論が求められていた。。。

社会福祉が行き届いた北欧の国家などでは、『“ゆりかご” から墓場まで』という言葉に代表される高福祉、高負担の考えのもと、国家が「国民の人生をトータルで面倒を見る」ところもあるにはある。

一方、日本はといえば、これまで「誕生」に際しては「お産婆さん」の介助のもと、妊婦が自宅で出産するというのが一般的であったし、臨終に際しても、自宅で家族や知人に看取られながら終末を迎えるというのが通例ではなかったか?と思う。。。

それが核家族化の進行とともに、現在は、生誕や臨終を病院で行う事が「一般的」へと変わった。この事が同時に日本人の「平均寿命」を押し上げる効果につながっていった側面も有り、あながち否定はしない。しかしながら「誕生」はともかくも、余命いくばくも無い局面に至ったら、誰もが「家で死にたい」と願う事もまた自然といえる。。。

この事は以前から指摘されていた事であったが、受け入れる側の家族の体制や、心構えが整っていなければ、「老人介護」の場合と同じ様に、支える側の家族の方が「負担」から潰れてしまう。そうならない為の支援として、また患者の「尊厳」を大切にする意味からも「デイホスピス」が存在する。その「デイホスピス」に介護保険を適用できる様にと改められた事は、同じ悩みに苦しむ多くの国民を勇気付けるものとして歓迎したい。。。