13日午前8時40分ごろ、大阪市都島区中野町の大川で、掃除をしていた男性から「浮いているポリ袋に赤ちゃんのような遺体が入っている」と通報があった。駆けつけた都島署員が袋を引き上げたところ、中から男児の遺体が見つかった。同署で身元確認を急ぐとともに、死因を調べている。
調べでは、男児にはへその緒がついており、生後間もないとみられる。スーパーの黄色のレジ袋に裸で入れられ、目立った外傷はなかった。大川で水陸両用観光バスを走らせているNPO団体の男性らが船着場の清掃をしていたところ、水際に袋が浮かんでいるのを発見した。【MSN産経新聞ニュース 2008.12.13 12:08】
よく時代劇などでは、ヤクザらが喧嘩などで死んだ者を「簀巻きにして大川にでも?放りこんでおけ!」などというセリフを使う。そこに出てくる「大川」と、この記事の「大川」は一緒のモノなのだろうか?・・それとも?それらに使われる「大川」は、単に大きい川を指してのことなのか?・・恥ずかしながら、その辺は良く分かっていない。。┐(゚~゚)┌
ちなみに日本でも前時代には、こうした光景も珍しくなかったのでは?・・という感じはしている。というのも、私は昔から時代劇好きで映画も良く見ていたが、そこにはしばしば登場する。例えば?何年前だったか、藤沢周平著、山田洋次監督による「たそがれ清兵衛」という映画があったが、皆さんも良くご存知だと思う。この中でも、釣りをしている清兵衛らの前を、飢饉などで亡くなった遺体が流れてくるというシーンがある。当時は川に身投げする者なども多かったと見られるから珍しいことではなかったのかも知れない。。
そう考えると?記事の「大川」も、当時のことなれば、遺体が流れているのも?有りがちな景色だった可能性がある。それはそれとしても?・・今は二十一世紀、平成の御世である。今には今なりの厳しさがあるとはいえ、妊娠は特別な場合を除き、二人が生で性行為をした結果に他ならなず、その事実を度外視しては語れない。。
よく子供が親に「自分は親に産んでくれと頼んだわけではない!」などと悪態をつくことがある。親としては腹立たしきものだが、子の言ってることに間違いは見当たらない。当然である。実際、望まれずに生まれて来た子供がいたとすれば?哀れ過ぎるものを感じる。。
記事を読み進むと、遺体はスーパーのレジ袋に入れられていたとなっている。哀れにも、この赤ちゃんは犯人から「ゴミ」同様の扱いをされたようだ。あたかもコンビニのダストボックスに、ゴミを投げ入れる感覚で、川に捨てられたのか?・・酷い話である。。
この世には、望んでも子が出来ない夫婦もいるというのに・・・どのような事情があったにせよ。この犯人は猛省してもらわねば困る。。
まずは亡くなった赤ちゃんのご冥福を祈るしかないが、兎も角も、遺棄した犯人が早く自首してくることを期待したい。心に重荷を背負って生きることはツラ過ぎる。そして赤ちゃんの御霊に深々と謝罪すべきである。その上で、あとは司法の沙汰に身を任せるしかないのである。警察の手を煩わせて逃げ続けるべきではない。。\_(-_- 彡