色づくミカン。。
秋の陽射しを受けて、我が家のミカンが黄色く色づき始めた。。
今年は、ざっと目に数えて100個以上は生っているように思える・・・良く探せば、或いは、もっと生っている可能性もあり、嬉しき限りである。。
諸物価高騰の時代に、好きなだけタダで食べられるという嬉しさは・・・格別なものがある。。
まことに有り難きことであり、とても嬉しきことである。。
今年は台風15号がもたらした塩害で、関東南部にある当地の木々にも大きな被害をもたらした。。
勿論、我が家の庭木も例外になく、それにより多くが葉にダメージを負って散った。。
ミカンは落葉樹ではないが、15号台風がもたらした塩害により、一時はかなり弱ってしまったのも事実。。
心配していたが・・・ミカンはタフである。。
その後の立ち直りがもの凄く早く、結局、大きな被害には至らなかったのは・・・とても有り難きことである。。
そんな中、話がいきなりブッ飛んで恐縮だが、私の中で「ミカン」というと、真っ先に思い出されるのが「紀伊国屋文左衛門」氏・・・・
彼は江戸時代の元禄期に紀州に生まれたスーパー商人であり、類まれな才覚を持つ政商でもあったともされている。俳人としても広く知られており今でも多くのファンを持つ。。
当時から中央政治に急接近し、財力をテコに癒着を深めつつ、あらゆることに手を出した人物とされている。。
まさにオールランドプレーヤー・・・今でいうマルチタレント的な才能をお持ちだったようだ。。
中でも一般に広く知られているのが「ミカン」で大儲けしたという例の話。。
文左衛門による遊郭での「お大臣遊び」などは特に有名で、頭に帯紐を捲いて小判をブリ捲くシーンは、今も尚、お芝居などによく使われ登場する。。
考えて見れば、文左衛門の生きた元禄の世も、今風に考えれば「バブル期」そのものであり、以前に私たちが経験した「昭和のバブル期」とも少なからず重なるものがある。。
文左衛門ほどのスケールではないにしろ、バブル当時、銀座の高級クラブなどを梯子し、ホステス相手に万札をブリ捲いて楽しむ「株屋」や「不動産屋」らの存在があったとされるが、或る意味、それらとも良く似ていると思った。。^^
改めて、江戸時代、ミカンで財をなしたとされる「ミカン長者」の紀伊国屋文左衛門氏・・・
紀州の山々を黄金色に埋め尽くしたとされる豊作ミカンを前にして、文左衛門の胸には何が去来していたであろうか・・・
我が家の小さなミカンの木に、文左衛門の生きた当時を重ね併せ、ささやかながら、今年も感謝してミカンを味わいたいと感じている今日この頃である。。。