
ネットより、、、
今日は3月11日、14年前のこの日、忌まわしい出来事が起きた。そう東日本大震災だ。。
原発災害と併せ、22000人の犠牲者を出す大惨事となった。。
あの日は我が街も殆どのエリアが停電となったが、我が家とその周辺だけは何故か奇跡的に通電してた。。
多分 送電ルートが違うのだろう。。
NHK大河ドラマ「べらぼう」の「蔦重」的に言えば❓「ありがた山のかんがらす」といったところ。。
実はあの日の我が家も大変だった。。
親はこの日、白内障で入院してた。午前中の手術で私は朝から付き添ってた。手術が無事済んだのを確認してから帰宅した。。
その帰る途中であの地震に遭遇、、、(;゚д゚)
今思えば手術が午前中だからまだ良かったが、午後だったら❓️いったい どうなってたことか、、、(ーー;)
メスを持つ医師の手が地震の揺れで震えたら❓手術も無事では済まなかったろう。今も考えると、ぞっとする。。
あの地震では関東南部も半端ないほど激しく揺れた。私も未だかって経験したことのない激しい揺れだった。。
電柱や街路灯が左右に激しく揺れて、アスファルトの路面も波打ってた。。
あの日、仙台から直線で800kmは離れてるであろう大阪のアベノハルカスが東日本大震災で発生した長周期振動で大きく揺れたというニュースがあったのを覚えてる。。
いかに凄い地震だったか❓️を如実に表す出来事だったと思う。800km離れた先のビルを揺さぶるんだからね。。
娘は娘で高校の卒業式の後、東京の帝国ホテルで学校関係者と謝恩会を開いていて、その最中にあの大震災に遇っている。。
まぁ帝国ホテルは頑丈だろうから、倒壊ってことは❓まず無いとは確信してたが、関東の電車やバスは全て止まっており、帰るすべが全く無いことから急きょ迎えに行くことに、、、
途切れがちになる娘の携帯に何とか連絡を付け、無事を確認して直ぐに迎えに向かった。。
普段なら1時間あれば着く距離を片道5時間以上かけて車で迎えに行った。。
既に街路灯も信号機も消え、街の明かりがすっかり消えてる中、要所要所の交差点を警察官が手旗信号で整理をしてた。だから片道5時間前後かかるのも無理はない。。
到着してから直ぐに娘を探し出し、娘の友人も一緒にレスキューして共に帰路に付いたという訳。帰りも確か❓5時間以上掛かったと思う。。
兎に角、どこもかしこも全て大渋滞、ちょっとずつしか動かないのだ。。
そうした中で娘の友人を無事自宅に送り届け、そこから我が家へと向かったら❓家に着いた時は朝方近くになってた。。
空がもう明るくなりかけてたね。。
一人一人、それぞれに思い出が詰まった3,11、、、
あれからもう14年が経つんだなぁ~としみじみ、、、
本日、震災で犠牲になられた方々に改めて深い哀悼の意を捧げ、安らかにお眠りくださるようにと願い黙祷した。。(ノε`)