griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

宗教と救命。。。

宗教上の理由から輸血を拒否する「エホバの証人」信者の治療をめぐり、日本輸血・細胞治療学会など五学会の合同委員会(座長・大戸斉福島県医大教授)が、患者が15歳未満の場合は、信者である親が反対しても輸血を行うとする指針の素案をまとめたことが24日、分かった。 今後、関連学会や信者側の意見も聞き、年内に共通指針としてまとめたいとしている。【日本経済新聞社 NIKKEI NET 更新:2007/06/25 00:43】

エホバの証人」ねぇ。近隣に教会が有るのかどうか知らんが、我が家にも何度か勧誘に来ている。ちなみに直近では、確か今月の初めにも来たように思う。少なくとも私の知る限りでも?ザッと目に5~6年に一度は来ているのではなかろうか。その都度「興味なし」と言うことで、にべもなくバッサリ断っている。。。

私は、キリスト教には別段敵意がある訳でなし、むしろ数ある宗教の中でも、素晴らしい宗教と理解している。だが我が家には我が家なりの先祖からの宗教があり、私としては、「今さら宗旨替えするつもりは毛頭ない」。。要はそういう事だ。。。

まっ。それは兎も角も、記事にある「エホバの証人」のように、宗教上の理由から?例え「輸血を拒否する」気持ちになったとしても?それはそれで全面否定するつもりはないし出来ない。人の生き方は多様だ。取り分け他人に迷惑を掛けない範囲でなら、自分の信ずる道を進みたいと望むのも当然の権利である。それ自体は誰しも異論がないと思われる。。。

ただ本件のように、ことが生死に拘わる輸血となると?どこの年齢を境に「正当な個人の意思」と認めるか?医療現場の「悩み」は尽きないところと思われる。「思想信条の尊重と救命」。。この難しい「命題」に対し、はたしてどちらを重きにおくべきか?私としても俄かには結論は付けにくい。むしろ?それを「当人以外」のものが判断して良いものか?との疑問も残るところだ。。。

昔、高倉健が歌った歌に「唐獅子牡丹」というのがある。その歌詞の中には、『義理と人情を 秤にかけりゃ義理が重たい 男の世界』というフレーズが出て来る。実際には、秤にかけようもない「義理と人情」を、無理やり秤にかけたと仮定して、「義理」のほうが「人情」よりも重いものであると歌詞の中では結論付けている。。。

だが?これも立場によっては?見方によっては?「異議あり!」と思われる方もおられるに違いない。兎角「思想信条」とは?左様なものである。。。

私のブログでも、時折引き合いに出す「忠臣蔵」の中で、仇を討った後、自害して果てた義士たちの中に、若年の者も登場する。例えば?大石内蔵助の嫡男である大石主税(15)や、矢頭右衛門七(18。16という説もある)の名が登場する。彼らは若輩ながら主君の仇を奉じ、討ち入りに参加し、最後は自らの意思で、自らの進むべき道を決めている。。。

勿論、今の世と違って?人生50年と言われいてた時代の15才であるから?単純比較も出来ないが?ともあれ、身体の成熟度合いでは?今と同等か?それ以下ではなかろうかと思われる時代のことである。社会体制が違うとはいえ?はたして今回の「R15」の決定が妥当なものであったか?否かは?性急には結論付けにくい。私としては?なんともウ~ムである。。。。