griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

日本の歩みを振り返り、これからについて考える。。。

これまでコメントをはじめ、様々なところに書いてきた部分を、私なりの考え方で、まとめて見ました。。。

わが国は、敗戦後、経済復興を急ぐあまり、本来、国家の根幹となすべき防衛や文化、伝統を等閑にしてきた感が否めません。しかし、時代背景を考えれば、資源もない小さな島国の日本が、戦争により荒廃した国土を逸早く復興し、疲弊した経済の建て直しを急いだのは、貧しい国民生活を改善するためでもあり、私としては已む得ない事であったと考えます。そうせねば、何れ、どこぞの国が、日本の歩んだと同じ道を選んでいた可能性もある訳で、その場合の日本は、おそらく、未だに発展途上国のままでいた可能性も否定できません。

これまでの自民党が推し進めてきた日本型資本主義とは、世界では「日本独自の社会主義」とも揶揄されるほど、明らかにもアメリカ型の資本主義とは一線を画すものでありました。中流層の拡大に成功した日本型資本主義は、いわば「資本主義の成功例」とまで言われるものでした。だから自民党政権も長く続いたのだと思います。それほどに、自信に満ちた日本型資本主義でありましたが、その後に起こる「バブル崩壊」の衝撃と、その痛手も覚めやらぬ十年間に、日本を取り巻く世界情勢が激変してしまったことは、それ以上の衝撃でありました。それこそが、第二の黒船ともいわれる『IT革命』であった訳であり、その間に、確かな舵取りも見出せぬままに、日本の立場は音を立てて崩れさるのです。そのことは、あえて平家物語を引き合いに出すまでもなく、時代は絶えず変化しているものと感じさせられます。

世界の工場とされて来た日本は、ついにその役割を終え、代わりに安い労働力を武器に中国やインドなどの新興勢力が、日本に代わり台頭し始めることになります。好むと好まざると、日本は世界の「グーローバルスタンダード」の流れに飲み込まれて行った訳であります。その結果、当時の日本企業も、生き残りを賭けて、安い労働力の海外に進出せざるを得ないという背景がありました。その結果、国内においては、生産の空洞化を招く事態となり、かくして、需給のバランスが取れていた国内の労働市場は急速に縮小する流れとなりました。その結果、日本は、かってない就職氷河期を迎える事になる訳です。それを打開し、新たな労働マーケットを創造しようと考えると、海外に取られていた生産拠点を、再び日本へ呼び戻す必要がありました。その為には、国内に安い労働力を確保する必要に迫られていた訳あり、小泉さんは、そこに「派遣の拡大」という形で、メスを入れていった訳でありました。その甲斐もあって、当時、就職難に喘いでいた人たちに、兎も角も「派遣」という新たな労働市場を創出した功績は否めないものと考えます。その事は更に、疲弊していた国内企業を側面支援する形ともなりました。

今日、急速なる世界の景気悪化の煽りを受けて「派遣切り」が進み、深刻な社会問題化へと発展しています。勿論、解雇された方々には、何らかの手当てが必要なことは言うまでもないことですが、といって、マスコミの論調に見る「派遣=悪」という決め付けるような考え方には私は賛成しかねます。くどいようですが、派遣法は、もともと、失った国内の労働マーケットを、再び掘り起こすために取られた?いわば「窮余の策」であった訳でして、そのことを抜きにして論ずるのは卑怯な振る舞いと感じています。(不備なる点は修正しても製造への派遣は続けるべきものと考えます。さもなくば今後の失業率改善に重大なる支障をきたすものと危惧を致します)

兎も角も、その結果、企業の業績回復は著しく進む事になり、やがて株価の向上となって現れ、それぞれの金融機関の保有する株の資産価値を高め、併せて政府の行った公的資金の注入効果とも相まって、あれほど危機に瀕していた金融危機を、どうにか脱することに成功したのです。その事は国の税収確保にも寄与する形となって現れています。派遣法がなければ、失業率は、今よりさらに厳しい事態にあったとも考えられ、小泉、竹中両氏に依る大胆、且つ緻密な政策が見事に功を奏する結果となりました。。

さらに当時を振り返って見ると?あの頃は、若者の間で、フリーターや、派遣志向が顕著な時代でもありました。好きな時に好きなだけ労働するという志向が強く、自由気ままな生活を望む若者の世相が背景にありました。当時、その事は、しばしばニュースに取り上げられ、テレビの番組にも、数多く取り上げられていましたので、ご記憶の方も多いと思われます。今、こういう厳しい時代を向かえるに当たり、職を失った方々の、ご心労は、確かにお察し致しますが、派遣を自らの意思で志向してきた方々と、已む得ずに、そうせざるを得なかった方々とを、一緒くたに考えるのは?・・極めて如何なものかという思いが否めません。むしろ派遣以上に厳しいのが、この場合、フリーターの方々かも知れず、派遣だけに手厚く支援するのではなく、そちらの手当ても併せてなされるべきものと考えます。

それと、最近、日本がアメリカ流「グローバルスタンダード」を受け入れたことへの批判を繰り返し目にしますが、当時の世界情勢を考えれば、これも已む得なかったものと理解します。兎角、日本人は「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」民族と揶揄されますが、折々の時代背景は、私たちも忘れるべきではありません。当時を振り返れば、この「グローバルスタンダード」が世界の潮流であった訳でして、当時、それを真っ向から否定するようでは、今頃、日本は世界の異端児として孤立していた可能性も否めません。それを思えば、日本人の持ち味である器用さを武器に、これを「使いこなす」道を選んだのは、むしろ私は正しい判断であったと考えます。。

そして、よく拝金主義の見本のように、ホリエモンや村上氏の名を上げる方がいますが、村上氏の場合は兎も角も、ホリエモンを、そのような類と考えるのは?私は基本的に間違っていると考えています。そもそも「物造り」だけが善で、「金の運用」が悪だとする考えは?江戸時代の士農工商の流れを汲むものであり、およそ時代錯誤も甚だしいものであります。「物づくり」の大切さは、私も十分承知しているところですが、しかしながら、今の時代は、環境意識の高まりとともに、人々の間には、広告で不要なものを煽り、大量にモノを作り続け、資源やエネルギーを無駄に浪費し、CO2を垂れ流すことへの抵抗感も出始めています。例えば?コンビニやスーパーの賞味期限切れで、廃棄される食品を減らせれば、日本の食糧確保は十分な余力を感じさせますし、その他の製造業でも探せば?まだまだ反省すべき点は山ほどあると考えられます。。

企業が、本来なら生活にいらない物を商品化し続けるのも?官僚が天下りの為に、本来なら要りもしない組織を増やし続けるのも?或いは地方に、要りもしない公共事業をし続けるのも?・・税金を使うか?使わないかの違いはありますが、すべては皆「雇用」を創出するための手段と転化して見る事が出来ます。資本主義社会なんですから、当たり前の事ではありますが、これからの時代を考えれば?・・資本主義の考え方はそのままに、一部の考え方に多少の修正が必要になるかもしれません。それと同時に、これまでは、兎角「悪者」扱いされがちにあった「金の運用」も、雇用を創出するという点では、物造りの現場と変わりありませんし、資源を無駄にせず、ゴミも増やさず、CO2も増やさず、経済の血ともいうべき金の循環を良くすることで、製造業の活性化にも貢献するものです。決して悪い話ばかりではありません。物造りで日本が一人勝ちしてきた時代は、残念ながら過去のものとなりました。GDPでも大きく後退をしています。好むと好まざると、日本を取り巻く世界が変わってしまったという現実を受け入れる度量も、私は必要と感じています。いつまでも過去の栄光にしがみ付くだけでは、どうしょもありませんからねぇ。これからの時代は、技術革新を支援し製造業を後押しするのと同時に、金融商品の販売などを「新たな枠組み」の中で、平行して育むべきものであり、そこに業種の貴賎などを差し挟むべきではないと考えます。

海外に目を転じれば、かって世界に冠たる繁栄を誇った大英帝国でありましたが、過去の栄光にしがみ付くがあまり、斜陽で「のた打ち回る」時代がありました。そのトンネルは実に長きに渡るものでありました。私の子供の頃の社会科の教科書にはそれが記されています。それを打開すべく、時々の政権が様々な政策を試みましたが、なかなか決め手となるものは有りませんでした。それをサッチャー政権の折に、国営企業を民営化し、更には「金融ビックバン」を通じて、英国を「国際金融センター」として道筋をつけることになります。その結果、英国経済は、劇的な復興を果たす事になります。この事は、小泉政権時代、与野党間の国会論戦を、中継で何度も聞きましたから、私も「耳だこ」で、しっかり覚えています。これからの日本も、引き続き、製造業一本槍で固執し続けると?・・英国の二の舞にもなりかねません。即ち「斜陽」になり兼ねない危惧を覚えます。これからの時代は、政治家も、企業経営者も、もっと頭をやわらかくして、もっとも時代に合った考え方を取り入れる必要を感じます。時間は前に進むものであって、後ろには戻りませんからねぇ。

この他にも日本の課題は、少子高齢化の進む中で、年金や医療の再生、そして人々の暮らしに直結する安心安全を、どう確保するのか?・・・などなど、解決すべき問題は山積しています。そして、その極めつけは、国家の防衛をどう考えるか?という事に尽きます。将来における憲法改正も視野に、そして、そこから様々な手立てを講じてゆく必要を感じます。・・・しかし長くなりますので、それらはまた、別の機会に述べることと致します。。。