griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

厳しさも愛である。。。

10月31日午後6時半頃、京都市伏見区豊後橋町の宇治川の係留場で、近くに住む私立高1年の少年(16)が、川面の強化プラスチック製救命板(縦、横各1メートル、厚さ20センチ)に乗って遊んでいたところ、下流に流された。
 少年は板上で正座するなどしたまま淀川を下り、約7時間半後の1日午前2時頃、約15キロ下流大阪府高槻市前島の川岸に漂着した。少年にけがはなかった。 京都府警伏見署の発表などによると、少年は友人2人と係留場の4隻の船に乗って遊んでいた。うち1隻の屋根にあった救命板を浮かべて乗ったところ、板と船の間のロープが結ばれておらず、流された。漂流した末、倒木につかまって岸に上がったという。 
 友人らは少年を見失い、10月31日午後9時頃に110番。伏見署や京都市消防局などの約100人が捜索したが、1日午前1時頃に中断していた。 読売新聞の取材に、少年は「不安だったが助かってよかった。迷惑をかけ、申し訳ない」と話した。同署幹部は「運が良かったとしか言いようがない」と驚いていた。
(2008年11月1日13時20分 読売新聞)

子供の頃は、兎角、怖いもの知らずである。それが良いとこでもあり、悪いとこでもある。記事の学生も相当に無茶をしてくれた。。

本来、16歳にもなれば・・大人並みの分別も期待したいところだが、何はともあれ無事であったことを踏まえ、今回のことを、貴重な「経験」と活かしてもらいたい。。

私も子供の頃のこと。休耕田などに水が溜まって、沼状態になってるところがあり、当時、木箱を寄せ集めて作った簡単な箱舟に乗り、仲間同士で良く遊んだものだ。子供の身長である。落ちれば胸まで浸かる深さにあったが、当時は、怖いもの知らずで遊んでしまった。今思えば?無茶なことをしたものだ。。

本来は、そうした危険な場所で遊ぶ以上、おのおのが自己責任で行動するものなのだが、今の時代は、何か事故が起きる度に?・・それらの自己責任や保護者責任を飛び越えて、すぐに管理者のセイにする時代になってしまった。困ったもんである。。

背景には呆れたマスコミらの存在が有るのだが、兎も角も、その為に、今では里々にある川や池の周りには、殆どといって良いほど、無骨なフェンスが張られたり柵が出来てしまっている。その為に、およそ自然とは?似つかわしくない?極めて味気ない景観へと変貌してしまった。大変残念なことである。。

そんな中で、都会では河川工事の行き過ぎから、自然な景観が失われつつあることに反省し、従来の河川を見直しし、憩いの感じられるビオトープ的な河川へと改造する動きもあるという。。

これからの時代、環境防止は、決して企業だけに向けられたテーマではない。そこに住む市民の一人一人が、もっともっと自己責任を自覚し、自然と正しく向き合おうとする姿勢が求められている。。

もともと子供は、周囲に迷惑を掛けながら育ってゆくという側面がある。だから問題も起こす。それ自体は、成長の過程で已む得ぬものと理解したい。。

肝心なのは、彼らが何か仕出かした時に、仕方なしにも似た?簡単な注意や、お為ぼかしで済ますことが有ってはならない。反省を自覚してもらう意味でも、厳しく罰する姿勢が当然である。。

ことの本質を脇に置いといて、事態の責任を、行政のセイにしたりすることは厳に慎まねばならない。そのことを声を大にして申し上げたい。その為には、親も子育てを人任せにすることないように戒めたいものだ。。

そういった中で、少年自身も、そこから何かを学び取り、一皮剥けたように成長するのである。これこそが生きた教育といえるものであり、長い人生の中で、少年が困難に直面した時に、それを乗り越えるための貴重な助けとなろう。。

その為には、この少年にも、今後、厳しい説教と共に、思いっきりケツを引っ叩くなどの体罰的処置が求められる。痛みは一時だが人生の上では貴重な財産となる。「災い転じて福となす」ではないが、この経験を活かして、立派な青年に育って頂きたい。。