griffin avenue’s blog

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故阿部典史さんの、ご葬儀が、しめやかに執り行われる。。。

一般道でのバイク事故で7日に亡くなった世界的オートバイレーサー阿部典史さん(享年32歳)の葬儀が13日、東京都港区の青山斎場で行われた。
 12日の通夜と合わせて5000人を超える関係者とファンが、豪快な走りとノリックの愛称で慕われた名ライダーに最後のお別れをした。
 祭壇には2000年のロードレース世界選手権500ccクラスで優勝した日本GPでの表彰台の笑顔の写真が飾られ、場内には愛車も展示された。かつての世界王者で、監督として阿部さんを世界の舞台に引き揚げたウェイン・レイニー(米)、阿部さんにあこがれて世界の頂点に上り詰めたバレンティーノ・ロッシ(イタリア)からの弔電が紹介され、ライダー代表として先輩の伊藤真一が「どうして、別れねばならないんだ」と沈痛な思いで弔辞を述べた。
 全日本選手権で乗っていたゼッケン81のヤマハYZF―R1のエンジン始動を合図に出棺。だが、ファンは会場内に飾られたレースシーン、底抜けの笑顔の写真パネルにいつまでも見入っていた。
【2007年10月15日11時42分 読売新聞】

不慮の事故で亡くなった日本人オートバイレーサー阿部典史さんを惜しんで、たくさんの参列者のもと、葬儀が13日、東京都港区の青山斎場で、しめやかに執り行われた。。。

ロードレースの世界選手権というと、バイクレースでは最高峰であり、私も以前は好きで、テレビでも?関心を持って見ていたのだが、最近は、歳のせいか?すっかり見なくなっていた。。。

その間に大活躍されていたのが、どうやら阿部典史さんであった。彼は現代を代表する?時のライダーである。その類稀な才気は、日本人としては、極めて珍しい存在であると同時に、世界でも貴重なライダーである。大変惜しい方を亡くしてしまい、私としても残念に感じている。。。

ちなみに、当時の私の覚えているライダーというと?あまりに月並みだが、ガードナー、ローソン、ロバーツ、スペンサーといった辺りになる。ワークスチームのプロライダーとして、一線で活躍していたころの勇姿がまぶしい。マシン的には、確か?ホンダのNSや、ヤマハのYZRだった頃である。。。

何時だったか?石原都知事が、英国の「マン島TTレース」を真似て、伊豆七島オートバイレースを計画されているとか言われてたが、その後どうなったのであろうか。これまで日本ではレース場も少なく、大きいレースも「MFJ」や「筑波8耐」など?ゴク一部のレースしか知られていない。更にバイクレースを盛り上げる意味でも、この企画。是非、やり遂げて頂きたいものである。。。

兎も角も、若くして亡くなられた 故阿部典史さんに対し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。。。