griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

「イジメ撲滅」のために。。。。

文部科学省は14日、同省に新たに7通の自殺予告文が届いたことを明らかにし、うち差出人が特定可能な3通を除く4通の内容を公表した。この中には東京・豊島郵便局の消印で6日に届いた予告文の発信者からのものも含まれ、改めて自殺を図る旨が記されていた。 【産経新聞  Sankei Web 11/14 12:13】

またしても送りつけられた「自殺予告」声明。もともとは文科省の教育行政の怠慢に起因しているとは言え、ある方の「エエ格好しい」が、ここまで波紋を広げてしまうとは?いったい誰が想像しただろうか?それでなくとも?某巨大「掲示板」などから広まったとされる「凸電」なるものが流行しているのである。その辺まで、あの方は思いを巡らさなかったのだろうか?。。。

それにしても、この機を捉えて、視聴率稼ぎに奔走するマスコミの過剰反応が、問題をより複雑にしてしまっていると見る。誠に困ったもんだ。冷たいようだが、この種の問題は、広い視野に立って、一歩引いて見る冷静さが求められる。報道によれば、今のところ「告白内容」を証明する「手掛かり」は何一つ無いようだ(一部を除く)。従って虚実判断は難しい。となれば?学校関係者に十分注意を喚起したうえで、あとは開き直って「出たとこ勝負」で対処するしかないと言える。政府とて?これ以上「強訴」に翻弄されている訳にも行くまい。キリがないからね。。。

ところで「自殺予告声明」と別に、子供たちの自殺が相次いでおり、その流れは一向に止まる気配を見せていない。まっ。大人の世界でも、年間3万人を超える自殺者を出している現状を考えれば?流れからして?これも「派生的」現象と捉えられなくもない。。。

誤解のない様に申せば?私には自殺を奨励する気もなければ、美化する気もない。命を大切にして欲しい気持ちに偽りは無い。しかし一方で、人には「生きる権利」が有るように、また「死ぬ権利」も、併せ持っている事を認めずにはおけない。それは共に「人としての尊厳にかかわる権利」である。それ故に、日本では、古来より武士など「生き恥を晒さない」ために、積極的に「自害して果てる」道を選んで来た歴史もある。。。

だが今日的には前者の「生存権」については、生きる為の根源的な権利として広く認知されているが、後者の「死ぬ権利」については、未だ「タブー視」されることが多い。テーマがテーマだけに、兎角「及び腰」になりがちだが、しかし激しい痛みに苦しむ末期がん患者ら本人が求める「安楽死」も?議論すら遅々として進まない現状をどう見るか?である。彼らに取って、残念ながら「死」は究極的な医療行為と言えるものである。人口の高齢化が進み、終末期医療の問題が顕在化して来ている日本にあって、未だ議論すらタブー視する事で、果たして良いものだろうか?という疑問が残る。。。

その上で、人が自然的に保有する「死ぬ権利」について、改めてタブー視する事なく、真剣なる議論をすべき時期に来ていないか?と問いかけたい。その活発なる議論を通して「命の尊さ」とは?「生きる意味」とは?などを、子供たちに深く学ばせる事が出来れば?自殺を思い留める重要な「手掛かり」になる様な気がする。。。

勿論、イジメ自体を防止する為の直接的な防御策も必要だ。イジメをして尚、悪びれる事ない不届きな生徒や?分からず屋の親、更には見て見ぬフリをする教師を、強権的に成敗する(粛清する)組織を、法律で身分保障有機的に機能させるべきである。。。

そうして「教育改革」を断固やり遂げるぞ?という強いメッセージを、教師、生徒、親に送る必要がある。。。。