griffin avenue’s blog

Boys be ambitious! Girls be unbalance? (^-^) 鳴かぬなら踊って見せよ。ホトトギス!

人となり。。。。

平成12年6月19日に死去した竹下登元首相の7回忌を前に、「竹下登先生を偲(しの)ぶ会」が14日夜、都内のホテルで開かれ、国会議員や財界人ら約350人が、遺影に花を手向けた。 小泉純一郎首相はあいさつで「私と違って本当に気配りが行き届き、怒った姿を見たことがない。私は首相を辞める今になって怒りは敵だと気付いた。耐え忍ぶことの大切さを最近ようやく分かってきた」と竹下氏の人柄を振り返った。 また、森喜朗元首相は「小泉さんも殊勝なあいさつをしたが、竹下先生のように気配りをされたら(小泉政権は)5年も持たなかった。しかし、(小泉首相の)手法でみんなが傷ついている。9月以降、どなたが首相になるにしても、愛情と癒やし、まさに竹下精神で次の内閣を運営してほしい」と注文をつけた。 会には、旧竹下派に所属しながら派閥を去ることになった政治家も多数参集。綿貫民輔国民新党代表が献杯の音頭を取ったほか、民主党小沢一郎代表や渡部恒三国対委員長らも献花に訪れた。 (産業経済新聞社 Sankei Web 6/14 21:57)

そうですか。もう7回忌になりますか?早いもんですね。確かに、総理在任当初から「気配り」は有名だった。もっとも?辛口に評すれば、金に絡む「気配り?」という印象も否めない。「ユニークさ」と「狡猾さ」を巧みに使い分け「気配り」という表現で纏め上げた「名宰相」とも言えそうだ。。。

それにしても「ユニークさ」の代表例として、外して語れないのが「ふるさと創生」の「一億円分配」でしょう。分配された側の「一億円」の使い方も、それぞれ大胆さとユニークなアイデアに満ちていた。使途に制限を付けない「自由さ?」を “ 巧み ” に活かし?常人の度肝を抜く発想で、暴挙も厭わず「宝くじ」の大量買い?を実施するところも??或いは、ふるさとのシンボルとして「純金」のカツオの「オブジェ」をつくったところもある。その効能は不明ながら?太っ腹な「大盤振る舞い」で、日本中に話題と元気を提供した。。。

一方。「狡猾さ」は、緻密な「読み」と共に組み立てられていた。「消費税」の導入はその代表例である。その是非はともかくも、私的には、財政収支の改善には「歳出削減」から入るべきが「原則」と思っている。しかしその後の政府が、その「功績」に助けられている事も事実として留め置かねばならない。。。

ともかくも「古い自民党」を象徴した竹下さんの法要で、ちりじりになっていた旧友同志が、改めて一堂に会した事に在りし日の「人柄」が改めて忍ばれる。弔問外交ではないが、小沢さんの事だ、こういう場を活かさぬハズはない。なにをされるのも結構だが、国民は「闇政治」はもう沢山だと思っている。どうか?「クリアー」な政治を目指して頂きたいものだ。。。

さて、記事にある小泉さんの語った「私は首相を辞める今になって怒りは敵だと気付いた。耐え忍ぶことの大切さを最近ようやく分かってきた」という「法事」に寄せたコメントを出された。亡くなった方をそ「尊ぶ」姿勢は美しい。。。

しかしながら、私的は、以前TVで、瀬戸内寂聴さん.が申されていた『人は、皆な、誰かの為に、成すべき事を持って、生まれ出て来た』 という話が思い出される。人には持って生まれた使命がある。戦国の世で力を発揮する人。太平の世に力を発揮する人。様々である。その意味で私は小泉さんは「動乱に生きる人」であると思っている。動乱の中では力強い「リーダーシップ」が欠かせない。「荒削り」でも「信念」を持って「強引」に突き進む「姿勢」が無いと無理だ。。。

今の日本は「戦乱」にある訳ではないが、「財政逼迫」で危機的にある中では、戦乱と同じ様な「危機意識」を持つ必要がある。その意味で、小泉さんは良くも悪くも時代の生んだ「申し子」と思う。私はその「行い」を支持する。「コロンブスの玉子」じゃないが?人は、後からなら?何とでも言えるのである。勇気を持って如何に行動をするか?が大切である。会社でもそうだが、何にもしないヤツに限って?もっともらしい批判をするのがいる。そういう姿勢は良くない。。。

次の走者も「改革イズム」のバトンをしっかり受け止めて欲しい。。。。