「おっさん、金ちょうだい」。大阪市内の公園で60代男性に声をかけた少年=当時(17)=は、男性が応じないと見るや顔を殴り、包丁で腰と太ももを刺した。
「犯罪とも思っていなかった」。
男性に大けがをさせ、強盗殺人未遂罪などに問われた大阪地裁の法廷で、少年はこう供述した。
なぜ後先も考えず、安易に重大犯罪を起こしたのか。背景として浮かび上がったのは、わが子を思うあまり「正論」を振りかざしてきた母と、息子の確執だった。
======= 中略 =======
子供の非行は親を試すSOSのサインでもある。まずは気持ちに寄り添って話を聴くという向き合い方が望ましいが、それをせず正論で押さえ込んでしまうと、子供は「助けを求めても無駄」「悪いのは自分」と思い込む。被告の場合は、小学生のときに「ものごとを考えるのをやめた」という。【12/22(日) 19:00 産経新聞】
ネットより、、、
「嘘を付いてはいけない」「人の物を盗んではいけない」「人を傷付けてはいけない」、、、
などなど、生きてく上での基本的な規範は親や友達がから教えられたり、学校の「道徳の時間」や「ホームルーム」で学ばされたりする。。
ただ、問題行動に至った時の理由は様々であり、十把一絡げ的に「正論」だけで論破さると❓️時に反発心も湧いたりする。。
記事の子のように、、、
そうしたことの繰り返しで、次第に、、>「 助けを求めても無駄」、「悪いのは自分」と思い込む、、ようになる。。
青春期にありがちな心の葛藤ではあるんだが、そこに発達障害などが加わると❓️理解能力が足らず、問題は更に複雑化する。。(v_v)
記事の中で少年は 、「 (人を刺しても) 犯罪とは思っていなかった」とあるから❓️、明らかな発達障害が認められる。。
そうした子供に対し、正論で追い詰めても、決して理解には至らず、かえって心を閉ざしてしまうように思われるところ、、、
何年か前のNHK大河ドラマ「真田丸」の中で、真田昌幸の実弟「真田信尹・のぶただ」が こう語ってたのを思い出す。。
『 人は理屈で固められると心を閉ざす 』
実にウンチクある言葉であり、確かにそういうこともあるな❓️とは私も思う。。(v_v)
植木ひとしの「スーダラ節」じゃないが「分かっちゃいるけど止められない」って、、、ヘ(^^ヘ)
「正論」は 物事を判断する上で最も大切な規範に違いないが、何もかもがその「正論」で押し切られたら❓️身も蓋もない部分もあるのは事実、、、
例え違う意見を持っていても、「正論」の前には返す言葉が見当たらず、故に、心を閉ざしてしまう、ということもある。。
ようするに、「黙っちゃう」、ってことだな。。
真田信尹はドラマのシーンで、そういうことが言いたかったんじゃないかな❓️と思ったりする。。
先週終わった大河ドラマ「光る君へ」の中でも、太宰府から帰りたい乙丸が、感情剥き出しにしてまひろを説得するシーンに多くの視聴者が感動させられた。。
正論は正論として大切ながら、その理屈を超えた部分を感情に訴えて説得することもは❓、時としてとても大切なことのように思える次第、、、🤧
あとで考えれば❓、相当に無茶苦茶なことを言ってたな❓、と思うことであっても、必死で訴えることにより、意外と分かってくれたりすることもある。。
近年、ひろゆきさんによる爽快な「論破」に多くの支持者が集まっていて、かく言う私もひろゆきさんの動画は良く見させて貰ってます。。
「私のとは違うなぁ~」と思うことも時々ありますが、それを含めて、また勉強になります。。😸
記事にある被告のお母さんも、そのことに少しでも気付いていたら❓️、もしかすると❓️、別な展開もあり得たのかな〜❓️、、、なんて、、、
全ては「後出しジャンケン」でしかないんですけどね。。
ふと、そんなことを思ったりしました。。😝😝😝